そうだ 京都行こう。後悔しないように
2019-12-03 14:28
こんにちは。秀鈴です。
11月のある日曜日のこと、プイッと行ってきました。3年ぶりの京都へ、しかも日帰り。
小さいお子さんたちの多いエデュママたちと違い、うちの場合は息子は十分育ってるし(大学4年生)、ほぼ独り身なので、こういうことがしやすくなりました。
11月とはいえまだ紅葉シーズンにはちょっと早いのに、なぜわざわざ日帰りで京都に行ったのか…それは京都国立博物館で特別展示されている「佐竹本三十六歌仙絵」を見るためだけに行ったのです。古典好き、絵巻物LOVE、歴史好き、紙フェチ、妙にこだわった表具デザインものに心ひかれる私としては、これはどうしても見逃したくない企画展! 全国巡回もなく、開催期間が1ヶ月ちょっとというこの類の特別展には異例の短期間。もうこの日を除いていく機会がなかったのです。
「佐竹本三十六歌仙絵」について
ここで私を動かした「佐竹本三十六歌仙絵」について少々長く面倒な説明をいたします。
「三十六歌仙絵」とありますが、もとは鎌倉時代に作られた、上下巻にわかれた絵巻物でした。
ここに描かれている三十六歌仙とは平安時代の歌人・藤原公任が選んだ、飛鳥時代から平安時代に活躍した三十六人の優れた歌詠み人のことです。歌聖とも呼ばれた柿本人麻呂、よく知られている小野小町、在原業平などがメンバーです。
この絵巻がなぜここまで注目を浴びるのか、それは他の歌仙絵とは独特のものがあるからであろうといわれています。単純な肖像画としてではなく、各歌人が歌の意味に合わせて表情や姿勢に微妙な表現がなされており、また描かれた紙も絵の具も、そして技法も、当時としては最高級のものが使われていると言われています。
佐竹本とは?
絵巻はさまざまな経緯を経て、旧秋田藩主・佐竹侯爵家が所有していたことから「佐竹本」と呼ばれるようになりました。そして、ちょうどいまから100年前の1919年(大正8年)、なんと、売りに出されることになったのです。しかし、あまりの高値に買い手がつかず、このままでは海外に流出してしまうかもという危惧があったため、これを取り扱う古美術商が、当時三井物産を支えた実業家であり茶人・美術品コレクターの増田鈍翁に相談。益田は「だったら絵巻をバラバラにして、1歌仙ずつ売ろう!」ということになり(後に「絵巻切断事件」と呼ばれるようになった出来事)、こうして1枚ずつバラバラになって、益田の呼びかけで当時ブイブイ言わせてた実業家や文化人があつまり、一人一歌仙ずつ所有するに至ったのです。
そのバラバラになった絵が、100年ぶりに一堂に介するというのが、今回の特別展なのです!!!
ちなみに「切断」というとかなりセンセーショナルな感じですが、もともと絵巻は1枚1枚描かれたものを張り合わせているので、糊の部分をきれいに剥がせば切らずともバラバラになります。なので表現としては分断が近いでしょう。
美しい紙、歌うような筆文字、愛らしい表情…そのすべてがいとをかし
朝7時に出発し、現地に着いたのは10時50分ごろ。一時期京都の某大学の通信課程をとっていたこともあり、当地に幾度となく通った私は、観光シーズン真っ只中の京都駅出発のバスがいかに混むかは熟知しております。京都国立博物館のある七条は駅から歩いて20分ほど。ここはテクテク歩いて博物館へ。
企画展は三十六歌仙絵以外の同時代の絵巻や歌集も展示されていました。最初の展示ブースにあった「国宝 三十六人家集 重之集」など、1000年前の透かしの入れ方、色の配色、装飾など、これでもか!というくらいの超絶技巧を詰め込んだ紙の作り方は大変素晴らしく、もうここだけで血圧上がるほどの興奮でした。本命の歌仙絵に行くまでに結構時間を費やして見てたように思います。
さらに歌集にかかれていた字がこの上なく流麗で書かれている文字の墨の濃淡や、強弱、文字の大きさ、筆使いなど、まるで読み上げている声が聞こえてきそうなリズミカルな感じが視覚から訴えてくる。まさに“歌そのもの”でございました。
そしていよいよ、三十六歌仙絵の展示エリアへ。
一同に介するといいながらも、36人中今回集まったのは31人(前後期展示入れ替えありなので総勢31人換算)とプラス1社。1社とは下巻に描かれた住吉大社の絵です。絵の中で1番人気で高額だった斎宮の女御など個人所蔵のものは出展されないものもあり、やはりここは交渉が難しかったのかもしれません。ただ31人とはいえ、ここまで集まっての展示はかつてない規模とのことでした。
それぞれの絵は、そもそもこの絵を分割した益田鈍翁が集めた人たちというだけあって、当時ブイブイいわしてた金持ちたちとはいえ美術価値、文化価値がわかってたんだろうと思われるほど、歌の内容に合わせた素晴らしい表具があつらえられ、一反の掛け軸としても見応えのあるものです。
紀貫之の絵は、室町時代のお能の衣装を表具にするというまさに贅沢の極み。さらに、雪が降る様を詠んだ歌に合わせて、扇が降ってくる文様を充てるというのはとても洒落ています。
もちろん絵そのものも、とても表情豊かで愛らしい。
詠まれている歌が
「みんな都を出て新しい赴任先に行くのに、俺は1人残っちゃったな…」(春になると転勤して赴任先に向かうのは平安時代も同じ)
とか
「君、今夜来るって言ったのに来ないんだもん。ずっと待ってたのに」(当時は通い婚。しかも詠み手が男性なのに女性を待っているという珍しいもの)
とか
「もう彼ったら寝ちゃって帰らないんだもん!寝起きのこの顔見られたくないのにぃ!」(後期展示の紅一点、小大君の歌。当時は朝になる前に彼氏は帰らないといけないルール)
とかとかいう歌にあわせて描かれているので、しょんぼりしてたり、すっぴん見られたくない女子が困っているような顔や、ぼんやり上を見上げてたりとおもしろい。
ほかの展示ブースには同時代から江戸期までのさまざまな歌仙絵も展示されてたのですが、佐竹本の絵のほうが色彩の豊かさ、絵の空間の使い方、そして微妙な表情が良かったりしました。
(「重文 後鳥羽院本三十六歌仙絵」は墨だけで書かれている白描と呼ばれる手法によるもので、それはそれで別の趣もあり、女御たちの黒髪は艶かしくて良かっったです。)
また、展示全体を通して今回の裏テーマでもある、「文化財の流出問題」についても考えさせられるものがありました。
じっくり鑑賞して、約2時間半。その後、国立博物館の目の前にある三十三間堂に修学旅行以来の32年ぶりに再訪したり、私史上最高のラ・ヴァンチュールのタルトタタンを再び購入できたり、志津屋の厚焼きふわふわ卵焼きをはさんだクラブハウスサンドもしっかり購入と、帰るまでの約6時間をフルに使い切り帰京(DDリクエストの硬い八つ橋もちゃんと購入。母偉い)。
行き帰りの新幹線代のことやら考えると高い週末でしたが、悔いはございません。